チラ裏マガジン

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昔住んでた家を思い出すだけ

同ブログに投稿されていた記事を読んで、昔住んでた家のことを思い出した。

幼少期を過ごした家が解体されるらしい - チラ裏マガジン

俺が昔住んでた家は解体されてなくて、今もちゃんとある。

俺の実家は俺が生まれてから市内を4回くらい移転している。最初の引越しは記憶にないけど、なんかアパートに住んでいたらしい。しかし俺が物心ついた頃には一軒家に住んでいた。

その家でのことは、庭に枇杷の種を埋めたこととか、犬がいたけど死んじゃったとか、近所の子供達と自転車で走り回ってたことくらいしか覚えていない。

4歳くらいの頃、両親が離婚して急に引っ越すことになった。さすがに急なんてことはないんだろうけど、俺にとっては突然で、なんか普段と違うことが起こるなぁという違和感のあと、急にボロアパートが我が家になった。ボロかったけどあんまり抵抗感とかなくて、父親がいなくなったこともすんなり受け入れたような気がする。

このボロアパートのことをつい最近まで忘れていて、たまたま思い出した時にGoogleマップで探してみた。住所が分からないので周辺にあるものから推測するしかない。

しかし大雑把に見当をつけたエリアのストリートビューを見ると、案外すぐに見覚えのあるものが見つかった。消防団の火の見櫓とか、三叉路の神社とか、自分でもよく覚えてるなと思うほど記憶通りだった。その辺りを画面上でグルグル散策していると、記憶の70%くらいの大きさのボロアパートが見たかった。あれ、こんなに小さかったっけ...。

めちゃくちゃ余談だけど、俺の地元にはわんわんランドというランド?があり、ものすごくデカい犬の像が建っている。子供の頃は牛久大仏に比肩する巨犬だと思っていたが、ある程度育ってから見たら全くそんなことはなく、非常にしょんぼりした。非常にだ。子供の大小感覚はあてにならない。

ここの思い出はあまりない。この頃土曜日も託児所に預けられるようになって、そこの居心地が悪すぎたことしか思い出せない。そこにいる子供も大人もみんな嫌いだった。他にも嫌なことは色々思い出せるけど、良かったことはあんまり覚えていない。

小学校に上がる前に県営団地に引っ越した。団地は上から見ると「ロ」の字になっているような変な形で、4階が回廊で繋がっている。

ちなみに風呂はバランス釜だった。風呂を沸かす時にレバーやツマミをガチャガチャやってたやつは全員友達。

引っ越しは教会の人たちが手伝ってくれていたような気がする。当時俺たち家族は教会に通っていて、団地にいるクリスチャンとも交流があった。

俺は特に洗礼とかを受けた覚えがなく、大人たちが飲んでる葡萄酒を飲みたいと喚いてる時以外は他の子供達と遊んでいた。韓国人の女の子にハングルを教えてもらって名前だけ書けるようになったりした。

あと教会にはなぜかヤギがいたけど、ヤギとの思い出はあまりない。

俺たちの部屋は「ロ」の字の隅で、下の階には足腰の悪いクリスチャンで韓国人の婆さんが住んでいた。婆さんは国内に身寄りがないらしく、時々教会の人が面倒を見に来ていた。

婆さんがいたのは俺たちが通っていたのとは別の教会だったけど、たまに我が家に電話をかけてきて色々と手伝いを頼まれた。

一度台風の日に水のおつかいを頼まれて、雨風の中近所の酒屋まで2Lペットボトルを買いに行ったことがある。それを届けると婆さんはいたく感激して小遣いをくれようとしたが、婆さんが生保受給者であることを知っていたので受け取れなかった。

その団地には15歳まで住んで、高専入学と共に俺だけ家を出た。大体10年くらい住んだから俺にとっては一番長い家で、実家と言えばこの団地だけど、母と妹は去年団地から引っ越してしまったのでもう行くことはない。寂しい。

その後は高専の寮に入ったけど、集団生活が嫌になって一人暮らしを始めて、そしたら今度は学校が嫌になったので中退して、通勤のために千葉に引っ越して、今は終電逃した時にタクシーで帰るために品川区に住んでいる。

実家を出てからは2年に一度のペースで住処を変えている。

 

少し前までは昔住んでた家のことを思い出すと感傷的な気分になっていたけど、今はもうどうでも良くなってることを書きながら確認できた。よかった。

おしまい